甲子園【高校野球】伝説@プロ選手達の繰り広げた名勝負

 
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東北楽天ゴールデンイーグルス

南北海道・駒大苫小牧高校 田中将大投手

 
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田中 将大(たなか まさひろ)

生年月日:1988年11月1日

東北楽天ゴールデンイーグルス(投手)

2006年 高校生ドラフト1位入団



兵庫県伊丹市出身。伊丹市立昆陽里小学校1年時に軟式少年野球チーム「昆陽里タイガース」で野球を始め、4番・捕手として坂本勇人(巨人)とバッテリーを組んでいた。

打撃練習では左翼方向への本塁打を連発し、しばしば同じ方角にある校舎の窓を直撃しかけたという。

小学校時代の最高成績は6年時の県大会準優勝。

伊丹市立松崎中学校時代にボーイズリーグの「宝塚ボーイズ」で硬式野球を始めると強肩を買われて投手も兼任するようになり、3年時には関西南選抜チームに選出された。

「野球の練習となるとその熱心さからか、しばしば周りから怖がられていた」と当時を知る人物は語っている。

駒澤大学附属苫小牧高等学校に進学後は本格的に投手に専念するようになり、2年夏の第87回全国高等学校野球選手権大会では背番号11ながら主戦投手として140km/h前後の速球と高速スライダー、フォークを武器に57年ぶり史上6校目の大会2連覇に貢献。

決勝戦の京都外大西高校戦で優勝を決めた最後の1球は2年生では史上初の150km/hを計測した。

大会後、AAAアジア野球選手権大会日本代表に2年生では愛工大明電の堂上直倫(中日)と2人だけ選出され優勝。

2年秋からは香田誉士史監督の就任後初のエース兼主将となり秋季北海道大会では堂上を参考にフォーム改造した打撃でも決勝を含む5試合中4試合で本塁打を放つなど活躍し、決勝では過去最多の13点差で優勝。

その後行われた明治神宮野球大会でも北海道勢として初めて決勝に進出し優勝。

第78回選抜高等学校野球大会では優勝候補に挙げられていたが、当時3年生引退部員の不祥事により出場辞退となった。



史上2校目の夏3連覇が懸かった第88回全国高等学校野球選手権大会では大会直前から体調を崩して苦しんだ。

2回戦:5-3南陽工(山口)

3回戦:10-9青森山田(青森)

準々決勝:5-4東洋大姫路(兵庫)

準決勝:7-4智弁和歌山(和歌山)

上記のように田中は初戦から苦しんで勝ちあがりかろうじてチームは決勝に進出。

早稲田実業との決勝戦では3回途中からリリーフ登板して延長15回まで1失点。

しかし早実の斎藤佑樹(早稲田大学)も1失点で完投し、37年ぶりの決勝引き分け再試合となった。

再試合でも1回途中からリリーフしたが、最後の打者となり斎藤に三振で打ち取られ3-4で敗れた。

大会後は全日本選抜としてアメリカ遠征に参加し、秋ののじぎく兵庫国体では決勝戦でまたも斎藤と投げ合ったが0-1で敗れ準優勝。

2人を中心とした熱戦は国内で同年のスポーツを代表する名場面となった。

最速150km/hの速球と高速縦スライダーを武器に、高校通算458奪三振を記録し、高校通算奪三振数、奪三振率とも横浜高校の松坂大輔(レッドソックス)を上回り、周囲からは「怪物」「世代最強エース」等と評された。

打者としても高校通算13本塁打を記録している。




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