甲子園【高校野球】伝説@プロ選手達の繰り広げた名勝負

プロ野球選手の高校時代の活躍を詳細と共に振り返ります。甲子園で演じたドラマの数々を経てプロの道に踏み出した選手を紹介します。甲子園での名勝負も紹介。

スポンサーサイト

スポンサー広告


TB(-) | CO(-) *Edit 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

▲PageTop

広島・広陵高校 中田廉投手

広島東洋カープ


TB(0) | CO(0) *Edit 

中田 廉(なかた れん)

生年月日:1990年7月21日

広島東洋カープ(投手)

2008年 ドラフト2位入団



小学5年時に野球を始め、八尾ファイターズ(大阪府)に入る。

以来投手一筋。

長吉西中時代は長瀬タイガースに所属。

中学3年生の時には関西選抜メンバーに選ばれる。

この頃から最速137km/hを記録する速球派投手だった。



広陵高等学校に進学し、1年春から公式戦に出場した。

1年秋には明治神宮野球大会で、新2年生となった第79回選抜高等学校野球大会でも登板し、次の世代の広陵のエース候補筆頭だった。

しかし同年夏の広島県予選で不調となり、第89回全国高等学校野球選手権大会の準優勝メンバーに入れなかった。



3年生になると再び頭角を現し、背番号3の投手兼一塁手として夏のメンバー入り。

広島県予選では主戦投手として活躍し、第90回全国高等学校野球選手権記念大会出場に大きく貢献。

1回戦の高知高校戦で先発し、90回大会では最速の148km/hを記録。

チームは2回戦で強打者筒香(横浜)率いる横浜高校に敗退した。

2008年10月30日のドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け、同年11月17日に契約金7000万円・年俸720万円(金額は推定)で仮契約した。

2009年は体調不良でファームでも1試合の登板に留まり、体重も増加したが、体調の戻った2010年は80kg前後に絞り、7月16日の中日ドラゴンズ戦でプロ初登板を果たした。

▲PageTop

 Comment List

宮城・仙台育英高校 佐藤由規投手

東京ヤクルトスワローズ


TB(0) | CO(0) *Edit 

由規(よしのり:登録名)本名:佐藤 由規(さとう よしのり)

生年月日:1989年12月5日

東京ヤクルトスワローズ(投手)

2007年 高校生ドラフト1位入団



宮城県仙台市出身。

小学校4年生の時から、兄や両親に説得されて野球を始める。

由規本人は左効きなのだが、兄(右利き)のグローブを使ってたことにより、左効きの右投げになった。

当初は嫌々通っていたというが、持ち前のひたむきさで野球に打ち込むようになっていった。

仙台市立北仙台中学校1年生だった2002年(平成14年)には、リトルリーグの仙台東リーグの一員として全国制覇。

その後、仙台東は日本代表としてアジア大会を勝ち進み、世界大会に進出。

初戦の対ロシア戦に先発した由規は大会10年振りとなるノーヒットノーランを達成し、最終的にチームは決勝でアメリカ代表に1-0で惜敗し世界2位に輝いた。

由規の中学校には野球部があったが、シニアリーグの仙台西部に所属して野球を続け、学校内では陸上部に所属した。



2005年に仙台育英高等学校に進学。

当時の球速は130km/hに満たず、控え三塁手だったが、1年秋には140km/hを記録して注目を集めた。

その後どんどん球速を伸ばし、3年夏の甲子園2回戦・智弁学園高校(奈良)戦の4回裏に、甲子園のスピードガンで計測された中で最速の155km/hをマークした。

それまでの記録は寺原隼人(日南学園→福岡ダイエー→横浜)の154km/h。

最終的には2007年の日米親善試合にて自己最速の157km/hをマーク。

甲子園には2年夏、3年春、夏と三期連続出場し、登板5試合中4試合で二桁三振を奪っている。



2007年のドラフトでは、中田翔(大阪桐蔭→北海道日本ハム)、唐川侑己(成田→千葉ロッテ)と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、地元の楽天の他、ヤクルト・横浜・中日・巨人の5球団が1巡目で競合し、ヤクルトが交渉権を獲得した。

背番号「11」にあわせた11月11日に契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で仮契約。

高校生としては史上最速記録の速球にばかり話題が集まっていたが、プロのスカウト評ではスライダーの切れに対する賞賛の声も多かった。

▲PageTop

 Comment List

南北海道・駒大苫小牧高校 田中将大投手

東北楽天ゴールデンイーグルス


TB(0) | CO(0) *Edit 

田中 将大(たなか まさひろ)

生年月日:1988年11月1日

東北楽天ゴールデンイーグルス(投手)

2006年 高校生ドラフト1位入団



兵庫県伊丹市出身。伊丹市立昆陽里小学校1年時に軟式少年野球チーム「昆陽里タイガース」で野球を始め、4番・捕手として坂本勇人(巨人)とバッテリーを組んでいた。

打撃練習では左翼方向への本塁打を連発し、しばしば同じ方角にある校舎の窓を直撃しかけたという。

小学校時代の最高成績は6年時の県大会準優勝。

伊丹市立松崎中学校時代にボーイズリーグの「宝塚ボーイズ」で硬式野球を始めると強肩を買われて投手も兼任するようになり、3年時には関西南選抜チームに選出された。

「野球の練習となるとその熱心さからか、しばしば周りから怖がられていた」と当時を知る人物は語っている。

駒澤大学附属苫小牧高等学校に進学後は本格的に投手に専念するようになり、2年夏の第87回全国高等学校野球選手権大会では背番号11ながら主戦投手として140km/h前後の速球と高速スライダー、フォークを武器に57年ぶり史上6校目の大会2連覇に貢献。

決勝戦の京都外大西高校戦で優勝を決めた最後の1球は2年生では史上初の150km/hを計測した。

大会後、AAAアジア野球選手権大会日本代表に2年生では愛工大明電の堂上直倫(中日)と2人だけ選出され優勝。

2年秋からは香田誉士史監督の就任後初のエース兼主将となり秋季北海道大会では堂上を参考にフォーム改造した打撃でも決勝を含む5試合中4試合で本塁打を放つなど活躍し、決勝では過去最多の13点差で優勝。

その後行われた明治神宮野球大会でも北海道勢として初めて決勝に進出し優勝。

第78回選抜高等学校野球大会では優勝候補に挙げられていたが、当時3年生引退部員の不祥事により出場辞退となった。



史上2校目の夏3連覇が懸かった第88回全国高等学校野球選手権大会では大会直前から体調を崩して苦しんだ。

2回戦:5-3南陽工(山口)

3回戦:10-9青森山田(青森)

準々決勝:5-4東洋大姫路(兵庫)

準決勝:7-4智弁和歌山(和歌山)

上記のように田中は初戦から苦しんで勝ちあがりかろうじてチームは決勝に進出。

早稲田実業との決勝戦では3回途中からリリーフ登板して延長15回まで1失点。

しかし早実の斎藤佑樹(早稲田大学)も1失点で完投し、37年ぶりの決勝引き分け再試合となった。

再試合でも1回途中からリリーフしたが、最後の打者となり斎藤に三振で打ち取られ3-4で敗れた。

大会後は全日本選抜としてアメリカ遠征に参加し、秋ののじぎく兵庫国体では決勝戦でまたも斎藤と投げ合ったが0-1で敗れ準優勝。

2人を中心とした熱戦は国内で同年のスポーツを代表する名場面となった。

最速150km/hの速球と高速縦スライダーを武器に、高校通算458奪三振を記録し、高校通算奪三振数、奪三振率とも横浜高校の松坂大輔(レッドソックス)を上回り、周囲からは「怪物」「世代最強エース」等と評された。

打者としても高校通算13本塁打を記録している。

▲PageTop

 Comment List

愛媛・西条高校 秋山拓巳投手

阪神タイガース


TB(0) | CO(0) *Edit 

秋山 拓巳(あきやま たくみ)

生年月日:1991年4月26日

阪神タイガース(投手)

2009年 ドラフト4位入団



香川県丸亀市に生まれ、3歳から野球を始める。

小学3年生の時に愛媛県西条市に転居、「西条リトルリーグ」に所属し全国大会への出場も果たす。

その後、西条南中時代には「西条リトルシニア」に所属し、3年時にシニア日本代表として世界大会に出場した。



西条高校では1年生秋から4番を打ち、2年生春からエースとなる。

2年生秋の秋季四国大会では自身の投打に渡る活躍で優勝し、翌春の第81回選抜大会には今治西高校と共に愛媛県勢2校同時出場を果たした。

初戦で好投手中野擁するPL学園(大阪)と対戦。

PL中野が5安打11奪三振を奪う好投で秋山との投手戦を0-1で制し、西条は初戦で姿を消した。



夏の愛媛県大会を制して出場した第91回選手権大会では1回戦八千代東(千葉)を3-2で下し、初戦突破を果たす。

2回戦では大会屈指の強打者今宮率いる明豊(大分)と対戦。

今宮は抑えたが河野、阿部にホームランを打たれるなどし、0-4で敗退した。



2009年のドラフト会議で阪神タイガースに4位で指名され、入団。

しかし本人はもっと上位でのドラフト指名を希望しており、コメント中には悔し涙を流した。

▲PageTop

 Comment List

島根・浜田高校 和田毅投手

福岡ソフトバンクホークス


TB(0) | CO(0) *Edit 

和田 毅(わだ つよし)

生年月日:1981年2月21日

福岡ソフトバンクホークス(投手)

2002年 自由獲得枠



野球を始めたのは、1987年、江南市立藤里小学校1年のとき、地元の「江南団地野球」に入ったのがきっかけ。

1991年、父の故郷島根県出雲市へ転居。

父も大学時代日体大で活躍し、首都大学野球連盟リーグの首位打者1度・ベストナインに2度選出されている。

実兄は立教大学で活躍した。

高校時代浜田高校のエースとして、1997年度の全国高等学校野球選手権大会に2年生エースとして出場。

初戦でエース・石川雅規(後に東京ヤクルト)を擁する秋田商と対戦。

9回同点から満塁策をとるが、続く打者石川も歩かせてしまいサヨナラ押し出しで敗れる。



翌1998年度の全国高等学校野球選手権大会ではベスト8に進出。

初戦は富樫和大-加藤健のバッテリーを擁する新発田農に勝利。

続く3回戦で森本稀哲(後に北海道日本ハム)を擁する東東京代表帝京高校と対戦、森本に本塁打を打たれるが、試合は3-2で勝利。

次の準々決勝では古木克明(後に横浜)を擁する豊田大谷高校と対戦、延長10回3-4で敗れた。

この前年の秋に上腕三頭筋を断裂していることもあり、この当時は120km/h程度しか出ていなかったが、帝京高校の選手は「150km/hに見えた」と証言している。

ドラフトでは自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)に入団。

入団の理由に、秋山幸二の引退試合での、福岡のファンの温かさへの感動を挙げている。

また、実際に福岡ドームに試合を観戦しに行き、その熱い声援が早慶戦に似ていたことも挙げている。

▲PageTop

 Comment List

««

Menu

プロフィール

高校野球を愛して止まない男

Author:高校野球を愛して止まない男
■■ご訪問頂き有難う御座います■■



↑宜しければお願いします。
※IE以外のブラウザをご使用になられている方は上記ボタンが使用できないかもしれませんのでご了承願います。

最新記事

年別アーカイブ一覧

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

アクセスカウンター

管理人フォルダ

キーワードアドバイス
ツールプラス


サイトマップラス
Powered by SEO対策

URL

サイトタイトル

ディレクトリ登録
by ホームページ登録


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。